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#2010.11.18 Thursday    フラグメントの恋 #first part (michele*camilla)

あまりに報われないのでかっこいいミケを書こうと思った。かっこいいミケーレ。書いていてきもちわるくてたまりません。長い上に続きます。






 短い悲鳴、続く歓声、数々の安堵の吐息。カミーラが認識に至るまでに耳にした音達だ。そう多くない種類だが、多くの数は一つの点に向かって帰着している。それは後ろ手に。振り返ったときには、既に光景は繰り広げられていた。
「……大丈夫か?」
 数歩後ろを歩いていた筈の幼馴染みの、落ち着いた声音だった。それは数歩よりももっと後方で響いた。
 ニューヨーク市保存協会の一部はホテル・ハイタワーの一部を借りて活動していたが、それ以外の局は、ホテルの目と鼻の先にある煉瓦構造の建物を拠点としていた。保管庫用に作られた倉庫とは別棟に設けられた建物は五階建てで、大きな円形のエントランスホールと旧式のエレベータが備え付けられている。その他に、エントランスホールから二階に上がる為につけられた、幅の広い吹き抜け式の階段があった。手摺りは真鍮製で、ロココ調の絨毯が丁寧に敷いてあるそれは、事務所としての建物には少々華美で不釣り合いな装飾で出来上がっていた。頭上には、男性職員から要らないと定評のシャンデリア。元々は成り上がりのヨーロッパ貴族が別荘として建築していたものだったそうだが、工事半ばで倒産。そこを今の保存協会現会長の祖父が買い取り増築したのがこの事務所の経緯だ。どうせならと改築もせずに、エントランスホールだけは当初のまま残っている。ちょっと洒落たつくりなので、女性職員には人気があった。
 昼休みのホールにはそこそこの人が集まっている。これから休憩とランチの為にと外へ出る者や、ケータリングで昼食を買って、各々のデスクで食べる者。それらの出入りが激しく、休憩時間の始まりは多少混雑する。
 階段の練色の絨毯の上には、無残に散った書類。
「怪我は?」
 黄色い声が上がった。それに掻き消されるように紡がれた幾つかの遣り取りをカミーラは聞くことが出来なかった。判ったのは、幼馴染みの腕に収まった波打つ栗色の髪の華奢な女性が頬を紅潮させている姿と、彼が珍しく柔和に口許を緩めた姿だった。
 ミケーレが立っているのは、丁度階段の一段目が始まる位置。真鍮の手摺りに軽く手を掛けているのは衝撃の緩和の為にと咄嗟にとった動作だろう。栗色の髪の女性は、ミケーレの腕の中で、惚けた顔をして何度か頷いている。不安定な位置で彼女の足が階段の段差に掛かっていたので、ミケーレは彼女の手を優しく引いてエントランスホールに迎える。乱れた濃紺のロングスカートの裾を軽く跪いて直す仕草に、また囂しい声が再度上がる。誰か別の者がやれば、唯の気障ったらしい仕草なのだろうか、幼馴染みがやると何故か画になってしまった。――昔からそうだった。
 周りの男性達も、彼の功績を讃えているのか、遠巻きながらも口々に称讃を送っている。その内容から察するに、と、カミーラは上手く回らない頭で今の状況を呑み込もうと必死になっていた。
 吹き抜けの階段の人の行き来も、休憩時間の最初の頃は常に倍になる。そこに両手いっぱいに書類を抱えた、件の栗色の髪の女性が不安定な様子で降りて来たらしい。彼女が集中するのは、勿論書類の山。落としてしまっては後が面倒だと、一点にばかり気を配っていたところに、横をすり抜けていった人間と肩が接触。そのまま、バランスを崩して足を踏み外した。
 丁度、カミーラの後ろを歩いていたミケーレが下に居たことで、事なきを得た。
 ミケーレが彼女が転倒したことに気付き、寸刻の判断で受け止めたのだ。
「あの、……ありがとうございます」
「いや、怪我がなくて何よりだ」
 まだ夢の中といった様な女性は何かまだミケーレに言いたい事があったようだが、彼は気付かない。怪我がないのなら、ということなのだろうか、何事もなかったかのように、階段にばらまかれていた書類を手早く集め始める。周りに居た数人の人間がそれを手伝いながら、ミケーレの肩を叩いたりして囃していた。カミーラの周りの者達も同じだ。書類が集まったところで、休憩時間だからといって無理矢理部署から連れ出してきた幼馴染みと、漸く、視線が合った。渦中の場を離れて、茶の革靴を進めてミケーレが近付いてくる。
「すまない、それで、ブルーノの諸世界の話だったか」
 うん、とも何も言えなかったのが何故なのか、カミーラには判らなかった。今起こった出来事はまるで些細な出来事で、女性が助かったのなら後は気にすることはないとでも言うような彼の態度に、何か言い知れぬものを覚えた。彼が口にしたのは先程まで自分達が交わしていた会話の内容で、でもカミーラにはそんなことは既に、どうでも良かった。
 頭にこびり付いた錆みたいに、先程の光景がぐるぐると纏わり付いている。
 明るい栗色は長くてふわふわとしていて。華奢な身体と彼の高い身長が対比されてるみたいで、それはとても目に付いて。振り向いた時に瞬間的に映ったものは、女性が彼の腕に流れていくみたいに受け止められていて。まるで。
「……カミーラ? 具合が悪いのか?」
 ぶっきらぼうな口調だが、思案げに顔を覗き込まれて、そこではたと、今まで自分が動きを止めていた事に気が付いた。慌てて顔を上げて幼馴染みの硝子の様な青の瞳を見て、それから周りを見回すと、彼と同じようにこちらを心配そうに見ている者達が多数。
「マスカーラ、お前嫉妬させるとかどんだけ役得なんだよ」
「半分で良いからその素養を分けてくれ」
「さっきのが素で出来て画になるって、なかなかないわよ、それにしてもお手柄ね」
「ほら、カミーラが浮気現場見ちゃって固まっちゃってるじゃない」
 軽い冗談交じりの声が飛び交っていた。カミーラは、別にそんなんじゃない吃驚しただけ、と返すので精一杯だった。他に何と返せたのだろうか、後になって考えても判らないことだろう。ミケーレは自分との仲を勝手に誤解されたことが苛立たしかったのか、軽く嘆息して終えていたが。
 もう、いつもの反応に戻っていた。
「君が外に出たいって言ったんだ、行くぞ」
 何だか、全部が蚊帳の外で起こっているかのような心地だった。ランチを食べにといつものように彼を何の疑問も持たずに誘って、それでホールでさっきの光景を見て。
 軽く掴まれた手首も、現実味を持たなかった。

 

 暫く、自分は話題の中に居た。
 休憩時間に階段で、観光局案内課の女性(後で知ったことだった)を助けた事は、不思議と協会員達の渇仰の話題の種になっていたようだった。別に何か賞揚が欲しかった訳ではない。女性が、上から落ちて来た所に居合わせたのだ、助けるのは当たり前だろう。
 ミケーレの思考は徹底されていた。誰に習った訳でもない。気が付いたらこうなっていた、といった方が良いのか。周囲からは良く感心されたり揶揄されたりもするが、スタンスを変える気はない。
 女性は薔薇のようなものだから。
 絵本から得た知識を、双子の兄が嬉々として口にしたのは随分と古い記憶だ。おんなのこはみんな薔薇なんだ。確信を持って言われたそれは、忘れることなく、自分の脳に刻まれている。女性は脆い、と一概にくくりつけるのは失礼に値すると思っている。花の様に手入れが必要だとか、貧弱だとか、それを見下しているとか、そういう考えを持っている訳でもなかった。唯、彼女達は皆一様に、とても強くて、反対にどことなく弱い存在だった。少なくとも、ミケーレが見てきた女性達はそうだった。実母にしても、初恋の相手にしても、嘗て恋をした相手にしても。だからなのか、それとも幼い頃から兄に植え付けられた価値観なのか、ミケーレは殊更に女性という存在を大切にした。下心があったわけではない。正直、彼女達には何も求めていない。自然とそうなった。何事も優先して、何事も労ることが当然だった。そうしていることが義務だとか、そんな大それた事を思っている訳でも無い。唯単に、そうしてしまうのだ。
 だから、階段での出来事を持て栄やすこと事態が、疑問に思ってならない。
 誰でもそうするのではないのだろうか。
 兄は、きっとそうしていた。
「ほら、来てるぞ、例の彼女」
 タイプライターを叩いている指が、デスクの向こう側から密やかに囁かれたものによって中断された。職務中や本を読む時には必ず掛ける銀縁の細身の眼鏡を外して、声を掛けてきた同僚を見遣る。顔は、噂好きのする野次馬のそれだ。親指で部屋の入り口を指している。「もうちょっと眉間の皺どうにかしろよ、怖がられるぞ」要らぬ忠告までされてしまって、自然と溜息が出た。
 首を右に傾けると、古美術品保管局保護課の事務所として使われている部屋の入り口が見える。壁を抜かれ、二部屋が一部屋になった広々としたスペースには、そこここにマホガニーで出来た机が並べられている。全てに共通するのは、どれにも大量の書類と書物が積んであることだろう。実働で古美術品を確保してくる輸送課とは異なり、保護課の主な業務は世界中の古美術品の研究、輸送課が持ち帰った美術品の修繕、最善の状態での安置の徹底だ。デスクワークが基本で、大抵が紙との生活を余儀なくされる。元から希望していた課だったので何も文句はなくやっているが、多くの人間は最初の一ヶ月で音を上げると言われる。理由は、業務内容の複雑さと、生半可な知識だけで入って来ると痛い目を見るという点だ。世界各地を飛び回る、多忙で家なんて無きにも等しい輸送課に継いで奇特な人間が揃っているとされている。古美術品に取り憑かれている変人達の集まりだ、と言ったのは、逆に華やかな業務をこなしている観光局の人間だったか。成る程、的を得ている。
 入り口には、数日前に階段から落ちて来た栗色の髪の女性が居た。話からして同期らしいが、観光局と古美術品保管局との仕事上での接点は余りないので、そんな人物が居たことすら知らなかった。
 こちらと視線が合う。すぐに、はにかんだような、温順な笑みが返ってきた。部屋の中から歓声が湧いた。これも、この数日間で当たり前になったものだった。
 観光局の女性は、あの日から毎日の様に昼の休憩には必ず顔を出した。案内課は、観光局企画課と同じくホテルに部署がある。ホテル・ハイタワーでの観光案内が決定してから移設された部署だ。階段から落ちた日は、総務局経理課から原因の書類を貰ってホテルに帰るところだった様だ。
 部署がある建物が違うというのに、女性はわざわざこうやってここに来ていた。
「今日も来ちゃって、迷惑じゃなかったかな……?」
 入り口へ向かうと、控え目に問われた。
 どうやら、助けた礼がしたいというのが目的のようだった。そんなに大それたことはしていない、と何度か言ったが、それでも、と女性は折れない。納得のいくまで礼をさせてくれと言われてしまって、その目が真剣だったために押される形でミケーレは女性と休憩時間を共にしていた。貴重な休憩時間だと言うのに、自分等に構っていていいのだろうかとも聞いたが、命の恩人だから、と凡そ大袈裟な事を返された。
「この間、美味しいって言ってくれたクッキーも焼いてみたの」
 途端、歓呼。部屋の中から上げられたものだ。この女性と自分が恋人になるかならないか、その辺りを賭け事として楽しんでいる現実が、ここにあった。蟀谷を押さえたくなるが、別に保護課の人間達が悪意を持ってやっていることではないので、何も言えなかった。悪い人達ではないのは判っている。唯、お祭り騒ぎと噂が大好きなだけで。こんな事を言われて、この女性も気分が悪いだろうに、当の本人は恥ずかしそうに微苦笑を浮かべているだけで。
「デートならS.S.コロンビア号だな、頑張れよ」
「だから、そういうのじゃないんです、いい加減にしてください」
 離れたデスクから、自分と女性が恋仲になるという方に一票投じたらしい先輩が訳の判らない事まで言ってきたので、一喝。この人も仕事になると頼れるというのに、普段はこの通りだ。
 保護課は万年女日照りだと言っていたのはこの先輩だった。男が大半を占める部屋の中に、数少ない女性と言ったら、カミーラとあと一人しか居ない。その女性も古株の一人で、研究に没頭し過ぎて婚期を逃したと聞いている。ミケーレはそういう生き方も良いのではないかと思っているが、世間一般からしたら、それは奇人の域の話らしい。普通、といってしまっては保護課の女性陣に失礼に値するが、目の前の栗色の髪の女性の様に、絵に描いた様な女性は珍しいのだろう。だから余計注目されるのだ。
「先輩! ランチ行きましょう! 今日はデリに行きましょう、デリに!」
 がたん、と勢い良く椅子を蹴る音と同時に、書類の合間からカミーラの紫鳶の髪が見えた。おお、と複数の声が上がる。
「それじゃあマスカーラ、可愛い幼馴染みちゃんは頂いていこう」
 これも最近の光景のうちの一つだった。自分とカミーラは、毎日当たり前の様に休憩時間は一緒に居たが、それは別に何か約束をした訳ではなかった。それが当然だった。物心ついた頃からずっと一緒だったのだ、その延長線で続いていたのだろう。何も考えずにそうしてたし、特に問題があった訳でも無い。それが、あの一件以来崩れていた。
 カミーラは絶えずずっと何かに苛々していたし、休憩時間は自分になど目もくれずに課で唯一の女性の先輩と共に何処かへ行ってしまう。それが悪いことだとか、咎めたいことでもなかったので何も言わなかったが。
 その事実もまた、課の人間達が楽しむ一因となっているようだ。
 強引に先輩の手を掴んで、カミーラはミケーレと観光局の女性の横をすり抜けていく。小さな頭の天辺が肩の辺りを通る。この時、決まってカミーラは自分を見ようとはしない。意志の強そうな瞳は前を真っ直ぐ向いている。苛々と。
「あーあ、俺はカーメン派なんだけどな……」
 別の同僚の一人が、ぼやく様に呟く。何の派閥なのか、ミケーレには理解出来ない。
 ただ、取り残されたような疎外感を感じてしまうのがこの数日間の休憩時間の始まりに、付き纏っていた。

 

 墨と古書の匂いに満ちた地下資料室は、本来ならいつ来ても落ち着く場所であったが、今のカミーラにとって安息の場となる場所ではなかった。紙の束を備え付けの机に叩き付けるように置くと、微量の埃が舞って、吸い込んでしまって咳き込んだ。何だというのだ。書類を置いた自分が悪いのか。悪いのだと思うけれど。自業自得だ。咳き込んだ際に出た生理的な涙で目の前が歪んだ。
 何がクッキーだ。甘いものに目がない幼馴染みの習性を知ってのことだろうか。いや、そんな下心、ないのだろうなと思う。人畜無害そうな栗色の髪の綺麗な女性を思い出してみる。
 ふわりと柔らかそうな長い髪に、整った白い面立ち。すらりと伸びた細い腕と脚、薄い肩。自分とは何もかもが大違いだった。
 小さすぎる背にはぎゅうぎゅうと細いだけの腕と脚がついていて、間違っても、すらり、等という形容詞は使えない。髪だって比べたら真っ黒だ。瞳の色だって地味な鳶色だ。容姿で褒められるところなんて一つもないと思っている。おまけに、料理なんて殆ど出来ないのが実状だ。クッキーなんて、昔母親と数回作ったくらいで、それからは作っていない。人並みに努力はしてみたが、どうにも上手くいかない。形にはなるが、幼馴染みにはいつも見た目が悪いと言われ続けていた。それでも何も言わずに食べてくれるのだけれど。自分はそれに甘えすぎたのだろうか。
 カミーラの脳内に、階段での出来事はずっと焼き付いていて離れなかった。ミケーレがあの観光局の女性の事を抱き留めた光景。嫌に、映えていた。何だか見せ付けられたような気がした。だからか、ずっと苛立っているのだろうか、ここ数日は私憤を撒き散らしている。
 幼馴染みが、別の人間みたいだと、思った。
 あまりに掛け離れた存在のようだった。
 ミケーレは、はっきり言って協会内ではかなり持て栄やされていた。女性からの支持が高いといったらいいのか。保護課や古美術品保管局に留まらず、総務局、それこそ観光局に至るまで、何故か不思議と知名度が高かった。それは見目に関してもそうだったが、何よりもその対応なのだろう。彼は、女性には殊の外、優しい。普段は無表情で何事にも無関心そうで、口から出るのは皮肉で、不機嫌そうに見えるというのに、細やかな性格の所為か何かと女性に気を使う。それが自然体に見えるのだから余計だ。見返りを求めているわけではないし、唯優しく紳士である、ということで人気があった。男性陣も、マスカーラなら、と何処か彼を特別視している部分があった。特にその事に関して誰かに妬まれることもなく、今まで過ごしている。
 カミーラはその事に関して、今まで特筆して何かを思った訳ではなかった。幼馴染みとその双子の兄は、ハイスクール時代から何かと注目度が高かった。それが大学、保存協会でも続いているだけであって、カミーラにとって日常だった。その横に自分が居るのは、幼馴染みで友人だからという理由だけだ。幼馴染みの片割れは、今まで何度か恋人を作ったことがあった。紹介してくれたことはなかったけれど。その度に、彼に恋をしていた自分は自棄になったものだった。今では懐かしい話だ。ミケーレ自身は、情愛をぶつけてくる相手がいるというのに、今の今まで誰とも付き合ったことがない。色事に興味が全くないのか、彼が情熱を傾けるのは物理学と数学と、そして民俗学だった。彼の守り神は物理と数学という整然とした形良いものであった。女性関係に関しては全くの無欲といっていいだろう、カミーラはそういった浮いた話を彼から聞いた試しがない。
 だというのに。
「毎日手作りのランチって何なのよ」
 気色ばんだ声音は、誰も居ない資料室の空気に溶けていく。あの女性が悪い訳ではない。いい気になって、とまた小言が落ちる。友人として、彼が誰かに感謝されている姿は喜ぶべきだろうし、友人なのだから、彼が誰かと恋に落ちることだって、歓迎すべきことだ。
 だというのに。
 急激に物事が進みすぎて、追い付いていかない。正直なところ、戸惑っていた。
 あの女性は綺麗で優美で、聞いた話に拠れば観光局でも一、二を争うような美人なんだそうだ。そんな女性と幼馴染みが結ばれるという結果になったら。
 それは、諸手を挙げて喜ぶべきことなのではないのか。
――彼の身体の中に、彼が居ても。
「あの身体は、ミケーレのものだもの」
 それは、彼の兄、マークも了承していることだった。
 二人同時に交通事故にあってからというもの、マークは死に、残ったミケーレの中に意識だけが同居して残った。それは偶に、気儘に表に出るもので、ミケーレ自身も判っていることだった。何故意識が浮上するのか、中にいるマーク自身にもよく理解出来ていないらしい。不規則に起こる交代は、幼馴染み三人だけの秘密でもあった。
 マークはきっと喜ぶ。それはもう、自分のことのように。弟のことを愛していると昔から豪語し、当の弟には気持ち悪がられていたが、彼はそれを曲げなかった。
 受け入れられないのは、カミーラだけだ。
 何故受け入れられないのか、そんなことは知らない。考えたくもなかった。不思議と。それはとても悪いことであるのだろうけれど、カミーラはどうしてもその事に対しての思考を拒んでいた。ただ、あの女性とミケーレが一緒に居ることに対して、途轍もない苛立ちがある。
(わたし、なんでこんな、)
 汚いことばかり思っているのだろう。
 不意に、かたん、と音がして、慌てて音の方向に振り返った。資料室の入り口から響いたそれの原因に気付くのに、時間は掛からなかった。
「カミーラ?」
 自分の思考を埋め尽くしている人物が、そこにいた。
 ミケーレは両手に古文書を数冊持って、立っていた。もう終業時刻に近い。多分、部署にあったものを片付けに降りてきたのだろう。それを近くの机に丁寧に置いて、幼馴染みは首を傾げていた。
「まだ終わってなかったのか?」
 そうだ、と言われて思い出した。自分は部署から持ってきた書類を所定の場所に戻す作業の途中だったのだ。
「全く……、簡単な仕事だろう? 何かあったのか?」
 最近の君はいつにも増して鈍くさい。そんな皮肉が、一々胸に刺さった。いつものことだというのに。皮肉なんて彼の十八番で、それに慣れきっていた筈なのに。どうしてこうも。
――頭に血が昇ったようだった。
「……具合が悪いようなら、」
「な、によ」
 堰を切ったように、破裂した水風船の中身の水のように何かが溢れてきた。形容し難いそれは、ミケーレの言葉を途中で切って、続く。
「別に、わたしがどうしようと、ミケーレには関係のないことでしょ?!」
 気が付けば怒鳴り散らしていた。資料室中に充満した空気が逃げていく様に感じる。ふつふつと煮えたぎった感情が、コールタールの様に黒く沸騰している。ただ、溢れる。こちらが激昂したような形になったのは、ミケーレにとって(自分にとってもだったが)予期せぬ事態だったようで、彼は喫驚を示した表情で立ち尽くしている。
「わたしの心配なんかしてないで、早くあの女の人と何処かに行けばいいじゃない、どうせ待ち合わせでもしてるんでしょう?! 早く出てってよ!」
「カミーラ……?」
「鼻の下なんか伸ばして、さぞ良い気分でしょ、良いよね、クッキーなんて作って貰えて!」
 ただただ呆然としている彼の前で、自分はただただ怒り狂っていた。
 何に対して、と問われてしまえばそれはとても答えにくいことだった。というか、答えられない。頭の冷静な部分が言う。何を無意味なことをしているんだ、と。これは単なる八つ当たりに過ぎない。そして八つ当たりをする原因を、自分は突き詰めて考えてもいない。非常に、迷惑な話なのだ。
 それでも、止まらなかった。
 目の前がぼやける。目尻に重みを感じて、ああ、駄目だと思った。温かいのか冷たいのか判別し難い水滴が頬を伝ったのが判る。それを見てなのか、ぎょっとしたような顔をした幼馴染みが、歪曲した世界に映っていた。
 胸が詰まったようで痛い。あの階段での一場面がぐるりぐるりと飛行している。もうなにがなんだかわからない。
 この感情の名前も。
「ミケーレの、ばか……!」
 思い切り叫んだつもりが、結果としてそれは擦れて、叫び声にもなっていなかった。
 それまで、ただ愕然としていた幼馴染みが、唐突に慌て始めた。なんだというのか、自分が泣いたことがそんなに驚くべきことなのだろうか。こんなの、昔はよくあったのに。ミケーレに最後の一言を放って、そうすると彼はむすりとむくれたようにそっぽを向いて。
 そうして、大抵、慌てたように。
「……え、カミーラ、ちょっと、どうしたんだ?!」
「なによ、ばか! はやくどっかいってよ、ミケーレなんてしらない!」
「知らないじゃなくって、いいから、話を聞け!」
 酷い涙声は滑舌を悪くする一方だ。幼馴染みは急いで立っていた場所からこちらに近付いてきて、宥めるようにカミーラの肩に手を置いた。気安く触ってなんだというのだ。誰にでもそうなのか。触れられるだけでも怒りが募って、彼の骨張った手をはね除ける。カミーラ、と名を呼ぶ声が聞こえるが、知ったことではない。諦めが悪い掌がこちらに近付くが、再度突っぱねる。すると、今度は逆に手首を掴まれた。
「ばか! おんなたらし、はなしてよさわらないで!」
「落ち着けって!」
 ぐ、と力を込められて引き寄せられる。安定を無くして蹈鞴を踏んだ足許は、簡単に前のめりになる。そのまま、幼馴染みの胸に飛び込む形となった。石鹸の匂いが鼻腔を擽る。優しい匂いにまた苛立って、ばしばしとその胸を叩くがびくともしない。胸も詰まって喉も詰まって、もう声にならない。
「ほら、カミーラ、よしよし、いい子だから」
 まるで子供をあやすように、背を大きな掌で撫でられる。
 いつも大抵、慌てたようにやってくる、――マークのように。
「……、マーク……?」
 そこで、カミーラはぐちゃぐちゃになっている視界を上へ向けた。ふやけて判別し難いが、幼馴染みの瞳の蒼の中に、微かに碧の虹彩が、ある。
 マークが表に出てくる時の特徴の一つだ。双子はお互いの瞳の色以外はほぼ全てが同じだった。だからなのか、マークの意識が浮上してくると、瞳に変化が現れる。見慣れない人なら気付かないだろうが、瞳の中にミケーレが持たない碧が、映るのだ。
「おはよう、カミーラ」
 それから、いつもの挨拶。カミーラが呆気に取られて、それでも一応暴れるのをやめた為か、安心したように息を吐いている。苦く笑っている中に、穏和な空気が混ざる。
 それは、カミーラがまた嗚咽を洩らすのに充分な理由になった。
 測定不能の感情が渦巻いている。何なのか、自分は知らない。あの光景は毒にしかならなかった。
 ミケーレが、とられたような気がした。
「――ふぇ、……っ、マーク、……っ」
「まだまだ子供だなあ、相変わらず」
 背に回された腕があたたかい。昔もよくこうしてくれたことを思い出した。
 幼馴染みは誰のものでもなく、それは勿論、自分だけのものなどではないのだ。そんなこと判っている。理解しているつもりだ。
 意味も判らず叫き立てる理由がわからない。
 黙って宥めてくれるマークの掌は、いつも自分の味方だったのに。
 今は何故かそれが、虚しくてならなかった。

 

2010.11.18 (フラグメントの恋 #first part)

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